< 車の自動化がもたらした路上社会の危険性>2020-12-09 特派員 祐二之田仲(南柏在住)
本日のテレワークも終盤になり、気分転換に散歩に出かけました。自宅近くの通行量の少ない道を歩いていると、1台のプリウスが私の横を追い越して行きました。そのまま歩いて200m程行くと、路上にさっきのプリウスが斜めに止まっているではありませんか。近づくと、カーブミラーがへし折れている、前に回ってみるとミラーのポールがくの字に曲がっていました。プリウスの左前部に衝突したことを物語っていました。左右前輪を見比べると、右ホイールは右に若干角度がついており道路をトレースする方向となっていますが、左ホイールはポールに衝突した衝撃で、だいぶ左に角度向いています。明らかに、回避操作もブレーキングもなくポールにまともに衝突したと思われます。
少し経つと、ようやく警官2名が原付で来ました。事故車は路上を塞いでいて夕闇が迫り、現場は危険な状況となりつつありました。警察が、「押してどかしましょう」と言いましたが、「車軸が曲がってるので、動かせませんよ」とひと悶着があり、事態が膠着したので警官は応援のパトカーを要請していました。
パトカーが来るまで、時間がありましたので、運転手の女性に聞いてみました。「ゆるやかなカーブですが、ミラー立ってるの気が付かなかったのですか?」すると、「ミラーがあるのは解りましたが、そんなに近いとは思いませんでした」という答でした。因みに、警官が本署に連絡している際に、「72歳の女性が運転するプリウスが・・・」と言う声を耳にしました。
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ここから考察となります。運転手は、運転の経過の記憶があるので、去年、私が目撃した高齢者暴走運転と同じではないと思われます。カーブミラーも認知できてるので、認知症ではない。但し、運転能力に必要な『距離感覚』が年齢に伴い低下したと思われます。回避行動や制動処置をとってないことが距離認知力の低下を裏付けています。
巷では、「プリウス・ミサイル」と言われています。それに関してメーカーや自動車ジャーナリストは、「プリウスは危険なクルマでありません」と言っていますが、なぜ、車が凶器になるような事故が起きるのかまで考えが及んでいません。プリウスは、自動化と各種サポート機能、更に高度なアシスト機能を装備したクルマです。快適さを追求して走行感を抑えて走ってることを忘れさせるクルマでもあります。運転が楽になるということで、運転に必要な能力、感覚が低下しても、また集中力が欠けても「運転ができる」と錯覚しがちです。
クルマは機械です。最先端技術の機械は、それを使う人間によっては凶器になります。機械の問題でなく、多くは機械を使う人間の側に問題があるのです。これは、人類史が始まった時からずっと繰り返されていることです。現在のクルマ社会、いや、路上社会は、今回の事故のように人為的な想定外のことが起こり得る危険性をはらんでいます。たとえ歩道を歩いていてもミサイルが飛んでくることに、常に注意しなければならない時代になったことを自覚する必要がありそうです。
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