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4台玉突き衝突事故現場からの報告

<4台玉突き衝突事故現場からの報告>2001-04-01 特派員 祐二之田仲(南柏在住)

 



それは、2001年4月1日の日曜日の夕刻であった。奇しくも今日はエープリル・フール。しかし、これは、まぎれもない実話である。

昼から夜に差し掛かる夕刻は一番危ない時間帯である。事故発生率が最も高い。その日は、新東京サーキットまでカートのメンテに行った帰路であった。 もう、自宅まで20~30分という場所であった。

国道16号の北千葉インター付近は渋滞してたので、それを回避するため、並行する県道を走っていていた。 四街道市内である。現場付近は全くの直線で数キロは続いている。 上下2車線で極めて見通りは良好な場所である。 信号機も少なく、ポツリポツリとガソリンスタンドやパチンコ店が道端にある程度で、ふだんは混雑しない道である。ツーツーと自然に流れている。

しかし、この日に限って、いつも流れている場所で何故か10台ぐらい車が止まっていた。 たぶん、前方で右折する車があり対向車が途切れるまで待っていて、その為の一時的渋滞と思った。遙か前方なので確認できない。これが、いつも流れている場所が渋滞している原因なのであろうと推測した。この渋滞の最後尾について自分の車は完全に止まった。続いて、自分の後続車も順に止まっていった。

すると、いきなり後方で衝撃音と悲鳴のような叫びが聞こえた。とっさにルームミラー後方を見ると、ミラーの中に見えていた数m離れていた後続車のパルサーが、みるみる大きくなるではないか。 まるで、連続ズームの効くSF映画の特撮に使われているシュノーケル・カメラで撮影した映像を見てるようにアッという間にルームミラーのレンジ一杯になって迫って来た。車間があるので、大丈夫と判断していたが、次の瞬間、ドーーーーン と大きなショックを受けた。

衝突事故の瞬間を目で確認できたレアーなケースであった。大きな音、背後車のズームアップ、追突というプロセスから判断して、玉突き衝突であることは、車中でうずくまりながら解った。

ショックで一時的にじっとしていたが、しばらくしてエンジンを切り、停車処置をして、すぐに車から出て事故処理を始めた。自分の身体は、とりあえず現時点では異常がないのを確かめると、後方の状況を確認する余裕がでてきた。

車外に出ると、すでに後続車とその後の車の運転手が口喧嘩を始めていた。条件反射的な素速い行動である。 お互いに、20歳過ぎの若い人である。

「コノヤローどうしてくれんだー・・・」


わりと常套句での喧嘩である。でも、この惨状を見たら、激怒、興奮、逆上してもしょうがない。 しかし、私の直後の車の、更に後の車の運転手は

「俺じゃない。 後を見てくれ。 俺達もやられた」

と、後ろを振り返る。更に後方に行くとと、加害者とその車があった。加害者を入れて4台の玉突き衝突であった。 被害状況を解説すると、前から言うと、私の車Yは、 後部のみ損傷、変形。2台目のパルサーは前後損傷。3台目のクラウンも前後損傷。 当然、トランクの損傷は酷い。4台目のクレスタ。これが加害車だが前部が極度に損傷していた。

加害者の運転手は歩道にポツンと立って、迫り来る有闇に途方に暮れている。後ろの車の二人の喧嘩は中断する。 どっちも、被害者だから。 しかし、当事者たちは、まだ興奮している。 後ろの運転手に、「ケガはないか?」と聞くと、首をふりふり、「ちょっと痛い」と言う。「ところで、だれか警察に電話してるか」と、声をかけると、加害者の運転手は、「携帯電話が行方不明で、困った」という。

ということで、後ろの2台目の運転手が自分の携帯で110番した。 ここまで、事後処理が進んでいるのを確認して私は車に戻り、デジカメを手にした。 まだ、現場が保持されている内に、4台の車の各々のその前後部をメモリに納めた。 これを見た、加害者の運転手は、「どうぞ撮ってください。かまわず撮ってください」と、なかば投げやり気味に止めようとはしない。

加害者の車まで撮り終えると、加害者の運転手が免許証を自ら 指し出した。 もう、観念したかの様な様子である。 で、これもデジカメのモードをマクロ(接写)に切り換えてメモリに納める。 後で、メモリ転送エラーの可能性もあるので、念のために手書きでも書き留めた。 続けて、自動車任意保険の緊急カードも提示してきたので、これもデジカメで撮った。

加害者は携帯電話がないので保険会社、勤務先に連絡できないと困っている。 しょうがないので、自分の携帯を貸してやった。まったく、何から何まで手のかかる加害者である。 準備万端で事故を起して欲しい。

通行中の一般車は前後で、大渋滞である。二車線県道の片方が修羅場で塞がっているので、長蛇の渋滞である。しかも、4台が不動状態なので約30mぐらいが一方通行区間に化している。そうこうしてると、通りがかりの一般車の運転手が、急に怒号で、「じゃまだから、はやく片付けやがれ!」と、青すじ立てて怒鳴る。

事故に巻き込まれた3台目の運転手が、とりあえず謝るので、ブツブツ言いながら怒号運転手は徐行しながら去ろうとした。 が、対向から来た車と接触しそうになった。 その対向車に今度は「お前は待ってろ」と怒鳴る。 受けた、対向の運転手は、「なんだとー」と、やり返す。 両者出てきて、とっくみ合いの寸前。

怒号運転手の助手席ではその奥方が、「あなた、止めて」と、泣き叫ぶ。 の対向車の助手席では、子型犬が吠えまくり御主人を援護する。

「このやろー、テメー、あなたア止めてえー、ワンワン・・・(以下リピート)」

大騒動の地獄絵図が現場の横で始まった。事故に巻き込まれた3台目の運転手とその助手席の同僚が喧嘩を抑えに入ったので、挙げた拳は夕焼けを受けて天空で止まっている。言葉は迫真の迫力であるが、そう簡単に手は出ないこの国の国民性が如実にでている。

私も仲介と思ったが、リングのゴングは鳴ってないので、格闘前の睨み合いのままにしておいた。そこへ、やっと御巡さんが到着。 原付を止めて、現場処置より先に喧嘩の停止作業に着手した。 さすが、制服の権威で、喧嘩は徐々におさまる。これ以上の格闘騒ぎは起きてはまずいので、事故に巻き込まれた3台目の運転手、同僚両者が、交通整理を始める。なかなか、献身的な若者である。 さっきは、要らぬ謝罪までしている。

御巡さんは、喧嘩の沈静化を達成すると、現場を把握し携帯無線で本署と119番に電話し、交通事故部隊と救急車を手配した。 まもなく、救急車、消防車、事故検分の警察車が順に到着した。 事故に巻き込まれた後ろの運転手は立ってはいられるが、大事をとって救急車に乗りこむ。 周囲の人間が事故に巻き込まれた3台目の運転手、同乗者に病院を促すが、両名とも、それに及ばずといって乗りこまなかった。 やっぱ、大きい車は頑丈か。自分も、今は症状の自覚ないといって現場に残って、ピーポーピーポーを見送る。

これで、スタッフはそろい最も緊急性のある救急処置も済んだので、皆で車を寄せる作業が始まる。 寄せる前には御巡さんがチョークで、現状の車位置にマーキングを施した。 ラジエターの液が垂れてる車もあるが、寄せろと言う。エンジン焼けないかと忠告したが、御巡さん曰く、「数十秒の間だから大丈夫」


事故に巻き込まれた3台目運転手、加害者は、そばの空き地へ退避する。 私と事故に巻き込まれた後ろの運転手は、歩道に乗り上げた。消防車は、車から漏れてる路上の液体の処理を始めた。 自分の所見では、加害者のラジエータ液だけで、油脂類の漏洩はないと思ったが、レスキュー部隊はなにやら白い粉を巻き、ホウキで飛散したガラス粉砕を掃除してる。それに前後して、何やら葬儀屋みたいな雰囲気の作業者がそばに立っている。失礼なことを言って失礼。
それは、レッカー移動の業者の方であった。吊り上げる車の大きさ、形状を見積もっている。 まるで、棺桶を作る際の、体格、長さを調べる仕草の様な感じがした。 だって、動けない車って、死んだも同然ですよね。

現場検証が始まる。 もう、ほとんど暗くなっている。まず、現場で各運転手と交通課警官が立ちあい、路上で検証を始める。最後は自分であった。 これって、取り調べの順序があるのか不明。その後は、個別に個人情報の聞き取りが始まる。 免許証、車検証、強制保険証書、と勤務先、連絡先、今の車の利用目的等を聞く。 この頃は、すっかり夜で寒い。加害車運転者は、One-Boxの警察車の中に拘束されて延々と調べられている。そのルーフには、”事故”って派手なネオンサインが輝いている。よく、事故が有るとお目にかかる、あの事故処理の警察車である。今は、その事故の当事者である。 がっくりしてしまう。車を愛する自分だけに、このように自他の多くの車を壊すなんて、絶対に許せない行為である。みなさん、車の運転はくれぐれも注意しましょう。(T+N+K)a

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